振付家プロフィール(生年順)
石井 漠 (1886-1962)Ishii Baku
1886年、秋田県山本郡下岩川村に生まれる。1911年、帝劇歌劇部員第1期生。1915年、帝劇を離れる。山田耕筰に勧められて新舞踊の研究を続け、1916年、舞踊詩《日記の一頁》、《明闇》他を発表。1922年、渡欧して欧米の主要都市を巡演。《囚われたる人》《マスク》他を発表。肉体とリズムの統合による純粋舞踊を模索する。1925年帰国後、国内巡演に力を注ぎ、戦後は全国展開をする。《食欲をそそる》《白い手袋》《山を登る》《マスク》、大群舞《さまよえる群像》《機械は生きている》《人間釈迦》他を発表して日本の洋舞界を牽引。著書には『舞踊芸術』、『舞踊の基本と創作』他がある。
小森 敏(1887~1951)Komori Toshi
1887年尼崎市に生まれる。1907年東京音楽学校へ進学。1911年、帝劇歌劇部員第一期生となり、16年、山田耕筰と小山内薫の新劇場に参加。17年、ニューヨークに渡り、伊藤道郎、山田耕筰らと公演を行う。21年、パリに移りダルクローズ学院に入学後パリ・デビュー。帰国までヨーロッパ各都市を巡演、《北斎》《サムライの死》が好評を博す。36年、帰朝公演開催、《モーゼの死》《ガヴォット》《春》《タンゴ》他上演、柿木坂に東京舞踊学校開設。47年、小森敏・小森譲ジョイント・リサイタル。その他に《ジプシーの踊り》、《寺院の庭》等がある。
伊藤道郎(1893~1961)Ito Michio
1893年、東京神田三崎町に生まれる。1912年渡欧。13年、ダルクローズ学院入校。16年、ロンドンにてイエ―ツ原作《鷹の井戸》振付・出演。16年9月NY初リサイタル。その後NYを拠点に活躍、日本人ながらアメリカモダンダンスの草分けの一人と称される。ミュージカルやハリウッド映画にも進出。43年、帰国。44年、伊藤道郎舞踊芸術研究所設立。45年、アーニーパイル劇場の顧問・芸術監督(-1955)。主要作品には《鷹の井戸》《ピチカット》《タンゴ》《音の流れ》《ローテスランド》、《小さな羊飼い》他。著書には『アメリカ』他がある。
高田せい子(1895~1977)Takata Seiko
1895年、石川県金沢市に生まれる。1912年、東京音楽学校入学。1914年帝劇洋劇部員(後に1期生に編入)、18年、高田雅夫と結婚。22年、夫とともにアメリカに出発。NYで「名舞踊家の夕べ」に出演。ヨーロッパ諸国巡業を経て24年帰国、高田舞踊研究所開設。29年、高田雅夫死去。以後、詩的現象を身体と音楽との融合により女性らしい感覚で表現する新作を意欲的に発表。主要作品には《香を捧げる女》《アニトラ》《黙想》《孔雀》《怨恨》《母》、劇的大作《湖底の夢》《石像と花と女》《炎も星も》」《海のバラード》《沈黙の苑》他がある。
江口隆哉(1900~1977)Eguchi Takaya
1900年、青森県上北郡野辺地町に生まれる。1929年、高田雅夫・せい子舞踊研究所団員になり初舞台を踏む。31年、宮操子と結婚後ドイツに留学。33年、マリー・ヴィグマン舞踊学校にて学ぶ。同年、ベルリンのバッハザールでリサイタルを開催し《手術室》他を発表。帰国後、江口・宮舞踊研究所を設立。《スカラ座のまり使い》、《プロメテの火》、《日本の太鼓》など、多彩な作品を発表して洋舞界に旋風を巻き起こす。また確立した舞踊創作理論によって多くの舞踊家を育成し、現代舞踊の礎を築いた。著書には『舞踊創作法』他がある。
宮 操子(1907~2009)Miya Misako
1907年、岩手県盛岡市に生まれる。1924年高田雅夫・せい子舞踊研究所入所。高田主催公演に出演すると共に自作《紅の月に寄せて》を発表。1931年、師の名作《死の舞踏》を江口隆哉と踊る。31年、江口と結婚後ドイツに留学。33年ヴィグマン舞踊学校にて学ぶ。同年、ベルリンのバッハザールで江口とリサイタルを開催し《タンゴ》を発表。帰国後、江口と意欲的に舞踊活動を展開し数々の名作を発表。65年よりダンスグループ宮の公演を開催し、新作群舞《地図》を発表。著書には『みちゃ子が行くー踊った、生きた、冒険した』(2004年)他がある。
檜 健次 (1908~1983)Hinoki Kenji
1908年、徳島県撫養に生まれる。1929年大阪音楽大学師範科入学、在学中に大阪に舞踊研究所を設立して舞踊活動を始める。32年、上京して初リサイタルを開催すると共に研究所設立。36年渡米。ルース・セント・デニス舞踊研究所にて交換教授をする傍ら、全米50数か所にて独舞展を行い、《習作―狂態》《枯蘆》を初演。38年帰朝公演。日本人の踊る日本人の踊りを提唱し《釣り人》《雪の夜語り》《BANBAN》等を発表。その他主要作品には《人間の黄昏十章》《神の座》《原始からの挑戦 呆・嘆・怒》等がある。著書には『舞踊論ノート』がある。
執行正俊(1908~1989) Shigyo Masatoshi
1908年、福岡県大川市に生まれる。東洋音楽学校にてピアノと作曲を学ぶ。在学中にヨーロッパ巡演から帰国した石井漠・小浪の舞踊リサイタルを見て音楽の心と舞踊の心が結ばれた作品を創作する舞踊家になることを決心する。30年に渡欧してバレエ、スペイン舞踊を学び、31年にマリー・ウィグマン舞踊学校に入学する。32年、ベルリンでリサイタルを開催し、アルヘンティーナに感銘を受けて創作した《恐怖の踊り》他を上演。帰国後スタジオを開設、数多くの公演を開催すると共に多くの舞踊家を輩出した。著書に『華麗なる輪舞』がある。
石井みどり(1913-2008) Ishii Midori
1913年、栃木県宇都宮市日野町に生まれる。29年、石井漠舞踊研究所入所。30年、漠の相手役に抜擢され、アニトラを踊る。35年、自作《涯しなき幻覚》《真紅の薔薇》他発表。36年独立。戦後、車4台で4年間全国縦断公演をするなど地方に力を注いだ活動と国内外での公演を精力的に展開。主要作品には日本の民族舞踊を素材にした《八月踊り》《郡上節》、照明と舞台美術の効果を駆使した独自の群舞《打楽器による三章》《体》《ブランデンブルグ・コンチェルト》《魂魄》《夢》他がある。著書に『よく生きるとは、よく動くこと』がある。
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