ダンス・アーカイヴin JAPAN(DAiJ)企画運営委員会3役鼎談
(一社)現代舞踊協会 《ダンス・アーカイヴ in JAPAN》公演を終えて
鼎談 正田千鶴 片岡康子 加藤みや子
聞き手 : 稲田奈緒美(舞踊評論家)
-2014年6月の第一回、2015年3月の第二回にわたる《ダンス・アーカイヴ in JAPAN》公演を振り返って、企画運営委員会として企画、交渉、運営を担った正田千鶴研究部担当常務理事、片岡康子お茶の水女子大学名誉教授、加藤みや子常務理事の3人による鼎談が行われた。現代舞踊の先人たちの作品を復元し、未来へとつなげようとする本企画の発端は、毎年研究部の企画で行われてきた夏期舞踊大学講座にあった。
正田 夏期舞踊大学講座ではずっと、海外の舞踊家を講師に招いたり、批評家の講話も海外のことばかりでした。若い人たちも海外に学びに行くし、海外の現代がどうなっているかはよく紹介されていたけど、私としては、古い日本の舞踊家の流れを汲んでいる人から学ぶ機会があってもいいんじゃないか、と思っていました。私が担当常務理事になったらやるぞ、と思っていたんです。それで、長年、日本の舞踊家について研究してこられた片岡先生にお電話して、心中をよくお話ししたんです。それから加藤先生は、山野博大先生と「ダンス人間史」という企画でいろいろ研究をしていらしたから、担当理事になっていただきました。お二人の協力を得て舞踊大学を続けましたが、常に私の頭の中には、日本の古いものを掘り起こして、劇場に売り込みたい、という思いがありました。舞踊家ですから、やはり作品を劇場で上演することが大好きなんです。
片岡 正田先生が研究部担当常務理事になられて始まった、夏期舞踊大学講座「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」シリーズがなければこの《ダンス・アーカイヴ in JAPAN》はなかったですね。2009年の夏期舞踊大学講座で、第一回目に石井漠、第二回目に江口隆哉、その後津田信敏、邦正美、小森敏、檜健次、伊藤道郎、高田せい子、執行正俊、石井みどりを取り上げました。現代の若いダンサーが、日本の現代舞踊の歴史を学ぶだけではなく、作品を実際に踊って学ぶ、という趣旨で毎回の内容を企画して続けていましたが、3年目に入った頃、正田先生が「これは新国立劇場でやらなきゃ!」と仰ったのでしたね。
加藤 そして新国立劇場への売り込みを考えた。
片岡 2011年頃から、「新国立劇場がだめならば、自分たちで資金を準備するしかないのか」などと、いろいろ相談し始めたんですよね。山野博大先生をお招きしたり、うらわまこと先生にお話を伺ったり。
正田 常にどうすれば実現できるかと、私は新国立劇場に行くたびに、「プロデューサーにどう言えばいいかなあ」と、2年くらい思っていました。ある時、うらわ先生とダンス公演の休憩のときだったかお話ししたら、うらわ先生が上手に、柔らかく望月辰夫プロデューサーに言ってくださった。
加藤 海外ではディアギレフのバレエリュス誕生100年にむけて、歴史を振り返る企画が増えていた時期でしたし、新国立劇場バレエ団でもデイアギレフの夕べが企画として決まっていた時期でしたね。それで日本では…という展開は必然だったと思います。
片岡 最初は大変でしたが、決まると早かった。望月さんに2011年から売り込みを始めて、2012年8月に詳しい話を聞きたいというお声がかかりましたね。それで、当時芸術監督だったビントレーさん初め制作会議で認めて頂くために、急いで映像を集めてDVDのハイライト集を作りました。すると、すぐに第一回公演のラインナップが決まったのです。夢のようでしたね。それまで夏期舞踊大学で取り上げた舞踊家の作品から、〈日本の太鼓〉を含めて第一回公演のプログラムを決めました。その次の第二回公演のプログラムは、夏期舞踊大学を進めながら取り上げるべき舞踊家や復元可能性のある作品を探り、絞りこみ、決定までは苦労しました。残念ながら取り上げることができなかった舞踊家や作品もあります。
-そうして第一回公演は、第一部〈日本の太鼓〉、第二部〈ピチカット〉〈母〉〈タンゴ三題〉〈BANBAN〉〈食欲をそそる〉〈白い手袋〉と、先人が作った作品を現代のダンサーが踊った。さらにこの公演を特徴づけたのは、第三部に現代の振付家である平山素子、柳本雅寛による〈春の祭典〉が組み込まれ、平山と大貫勇輔によって踊られたことである。望月プロデューサーから、アーカイヴ公演が「同窓会になっちゃだめだよ」と言われたそうで、プログラムにこの〈春の祭典〉を入れたことで、観客には日本の洋舞史100年の流れがよく見え、過去を見るだけでなく、いかに現代につながるかという、公演の意図を感じ取ることができた。それは、チケットの発売開始と共に売り上げとなって表れた。第二回公演は、第一部〈機械は生きている〉〈マスク〉〈恐怖の踊り〉〈釣り人〉〈スカラ座のまり使い〉、第二部は石井みどりによる〈体(たい)〉(音楽は春の祭典)だった。
加藤 第一回、第二回とも、もちろんダンサーも協力的でしたが、最後はチケットを争うくらいでしたね。望月さんが最初に「ボックスオフィスで売れることがとても大切だ」と言われたけれど、その通りになりましたね。
-第一回公演では当初予定していた2日間の公演分はすぐに売り切れたため、追加公演を行った。結果的に、3回の公演の有料入場率は89.0%になった。第二回公演は2回の公演で有料入場率は88.1%。第一回、第二回ともに客席は満杯に近く、多くの観客が来場した。それでは、観客の反応はどうだったのか。
加藤 大反響でした。「どうしてこれだけの公演がこれまでなかったのか」、「モダンダンスの原点を僕たちも知らなければならない」、と現代舞踊協会と関係ない若者、いつもバレエを観ているような観客が終演後のロビーで、飛んできてくれました。古い作品でも若い人にこんなに新鮮に受け止められるのか、と感動しました。パイオニアの放った光はバレエ、モダン、舞踏といったジャンルを超えて、今も脈々と繋がっていると、実感できました。
片岡 望月さんが「新国立劇場の観客が、すごくうれしそうに、これほど満足した顔で帰るのは初めてだった」と言われたくらいです。観客は関係者だけではなかったのですが、日本の洋舞100年の歴史に触れて、日本人に誇りを持てたことが幸せだったのではないかと推測しています。
正田 でも、批評家の中には、「内輪だけで自己満足しているのではないか」、「復元する意味がない」という人もいたんですよね。
片岡 それは、再演レパートリーを否定しているということでしょうか。古典バレエの〈白鳥の湖〉は初演から100年余り経ちますが、その後いろいろなバレエ団や振付師が改訂・再演を続けて、今日に至っていますね。ピナ・バウシュも初演作品のみならず再演レパートリーをプログラムに組んできましたね。
加藤 もちろんモダンダンスは伝統的な舞踊ではないけれど、伝統的な歌舞伎だって更新されるように、お客さんを作っていくためにもレパートリーは必要だと思います。自分たちの思いだけでなく、ちゃんと作品として繋げている、海外の作品だけでなく、自分たちで切り開いていく力も、やってきた歴史もあると、伝えていかなくては。それも今でないと復元も難しくなる。
片岡 私が今教えている高校生も毎回30人くらい見に来ましたが、自分たちが今やっているダンスは、普通にそこにあるものだと思っていたけれど、公演を見て、こういう先人が創作してきた作品や獲得してきた歴史があったから、今、自分たちができるんだということがわかったようです。否定的な批評家もいらっしゃったのかと思いますが、新聞評で公演の意義を認めている批評家も多いですよ。
正田 ある批評家は、〈日本の太鼓〉を見て、「こんなのを見ているより、民俗芸能を見る方がいい」と言ったそうですが、江口隆哉の作品の品格と、民俗舞踊の荒々しさとは、そもそも比べられないものでしょう。それが見えない人はかわいそうだな、と思う。
加藤 太鼓を打ちながら踊るわけで、太鼓の音の調整など、民俗舞踊の側から見ると充分でなかったりするかもしれません。ダンス作品として見た時の時間と空間の構成は今みても新鮮でしたね。江口隆哉があの当時、民俗舞踊を取り上げて〈日本の太鼓〉を作ったアイデアが面白いのですね。西洋に学びながらアイデンティティを探していたのですね。
片岡 西洋の真似ではない、自分たちの舞踊を模索して行く中で、民俗芸能に目を向けて実験しようとした。日本という文化を背負った舞踊家の生きざまがそこにあり、舞踊家にとっても大きな課題だったし、その課題を乗り越えなければ先が見えてこなかったんじゃないかしら。
加藤 江口のソロ作品〈スカラ座のまり使い〉を第二回公演で踊った木原浩太は、ある批評家から「木原君の笑いはえげつない。江口はあんな風に笑わなかった」と言われたんです。私も可愛すぎるな、と思ったけれど、諏訪市で二度目に踊ったときは、両方とも見た方から「変わったね」と言われました。彼も江口隆哉の映像を見て思うところがあって、いろいろ研究したらしいです。大きな課題を前に、勉強になったと思います。
片岡 江口が初演した時は36歳でした。それに比べて木原君はまだまだ若いから。
正田 ある批評家は、第一回公演では、中村恩恵が踊った宮操子の〈タンゴ〉だけが良かった、と言うのよ。
片岡 良かったことは確かですよね。
正田 宮操子とは全然違いますよ。宮操子の身体性ができる人はいないから。
加藤 中村さんが「みなさんにいろんなことを言われて、私はどうしたらいいかわからないけど、ここで開いて、今まで私になかった、エンターテイメントな自分をやってみます」と楽屋でおっしゃったんですよ。
片岡 最後は、自分が宮操子の〈タンゴ〉に向き合って、自分の経験を踏まえてやる、と覚悟を決められたのですね。
加藤 宮操子と、バレエをやってきた中村恩恵がドッキングして生まれたものであって、その機会を作ったんですよね。それは小森敏の〈タンゴ〉を踊った柳下規夫にもありました。それぞれ人の好みや、そのときの感覚で、心がゆれた人もあれば、観客にもいろいろ出会いがあったんではないかな。
正田 だれが踊っても素晴らしくできる作品というのは、それはバレエですよ。モダンダンスでは、究極的にあり得ないのよ。私はそう思います。だから、自分の中でもアーカイヴをやってよかったのかどうか、実は今でも悩むんです。アーカイヴをやろうと言った張本人がこう言うのはとても矛盾してるようですけど。だって、宮操子が踊る姿が、私には染みついているから。リハーサル中に当時の宮操子を知っているみなさんが、本当にいろいろ中村さんに言ったの。それで「中村さんが思った通りにやってもらっていいんじゃないですか」って、私は言いました。
片岡 中村さんは、思ったようにされたんじゃないですか。ぎくしゃくしたところもなく、自分が解釈した〈タンゴ〉を踊られた。
正田 だからダンスはつくづく形じゃないな、と思いました。土方巽なんて誰も踊れないでしょう。
片岡 それは、作品責任者のほとんどの方が言っていることですよね。たとえば井村恭子先生は、「伊藤道郎はこうでなきゃいけない」と同門会で引き継いできたことを貫いてやりたいけどそうできない、と嘆いておられましたね。逆にがんじがらめになって指導することで、自分が問題児になってしまった。そうではなくて、今のダンサーにどう踊ってもらうか、もう少し形から解放されていいんじゃないかと思ったと、最後は言われましたね。藤井利子先生は、空間をこっちの方に移動するとか、ステップはこうとか以外には、柳下さんに何も言わなかったそうです。作品責任者の先生方は、最終的にはダンサーに委ねられたのですね。
加藤 研究部が企画して夏期舞踊大学を開催した時、その時は田中いづみさんが部長で馬場ひかりさんが副部長で、池田恵巳さんが総務的役割をしていました。ただそのまま作品を覚えるのではなく、何かを振り付けからとってリメイク、創作しようというワークを入れたんですよね。すると石井漠の〈山を登る〉で、ラセン等いろいろな登り方が、出てきた。高校生から70代までいろんなワークをしたんです。そこで、“創る”とはどういうことか?と、ちょっと考えることができた。作品と時代を考え、その隔たりと共に共感もえた。作品誕生の経過を実感したと思います。
片岡 石井かほる先生の〈マスク〉も、もともとは石井漠自身が踊った作品を、かほる先生が女性の踊りにしたんですよね。石井漠の映像には、踊りが何十秒しか残っていないですし、スクリャービン曲としか記載されていない。数あるスクリャービンの小品集から音楽監修の笠松泰洋氏とかほる先生が選曲しましたが、踊り方もまったく違います。衣装も。でも、かほる流の〈マスク〉が生まれた。石井漠の孫である石井登さんも〈マスク〉を踊りたくてしょうがなかったようです。けれど、かほる先生が「踊りたい!」と強く思われて、ある意味、違うものとして踊った。でも〈マスク〉の本質とか、漠先生の思いを引き継いで自分の〈マスク〉にした。きっと天国から漠先生が見て下さり、認めてくれるだろうと最後には思った、と言っていらっしゃいましたね。
正田 私のように宮操子のイメージが強すぎる人は、中村恩恵さんの〈タンゴ〉を見ても、見えないところがあるのかもしれない……。
片岡 宮操子を写真で見ても、あの時代に抜きんでたスタイルと身体性だったことがわかりますものね。
正田 何がすごかったか、端的に言うと、いばっている。絶対、お客さんにへいへいしない。
片岡 威厳がある、ということ?
正田 そういう人は今、いないじゃない。宮先生はいばってますね。私が尊敬するのは、やっぱり江口隆哉の方。江口先生はノーマルですよ。論理的、客観的に生徒に接する。土方巽も、はっきりしてるじゃない。大野一雄はちょっと違う。土方さんに宮操子は似てるかもしれない。唯我独尊というか。
加藤 カリスマ性。今と違って、いろんなものがないからスターが必要だった。
正田 宮先生の歩き方を、自分の身体でとても取れないの。やってみたいけど。
加藤 このアーカイヴをやったことで、舞踏のアーカイヴと大野アーカイヴとかが繋がっていくときに、そのもとにパイオニア石井漠や江口隆哉がいた、ということが歴然となってきました。
片岡 日本の現代舞踊は日本舞踊から始まっている、と言われたのはどなたでしたか?
正田 山野博大さん。
片岡 もちろん、つながりがないわけはないでしょう。日本の文化が連綿とあって、現代舞踊が生まれたのですから。
加藤 それだけ日本の現代舞踊は日本ならではの特色がある、ということだと思いますよ。
片岡 以前、郡司正勝先生がおっしゃっていたことを思い出します。「日本の現代舞踊は邦舞からではなく、日本の洋舞からうまれた」と。これに関連したことに触れますと、ダンス・アーカイヴを機に出版した『日本の現代舞踊のパイオニア』の序章で児玉竜一先生は、日本の伝統舞踊の概念が成立する以前に日本の舞踊は西洋に出会わざるを得なかった、西洋という「単なる新しいもの」を取り入れる本能に従った創作活動の混沌があり、やがて西洋本場を体験して帰ってくる者が出て、次第に事態は変わっていった。つまり最初は江戸時代には江戸の風俗をとりいれたように、明治の風俗として「西洋」という新奇な題材を取り込み、次第に伴奏にピアノ等を用いる演奏を取り入れたり、群舞を始めたり、いろいろな新しいことを試みたと書かれています。しかし、それらは新舞踊という段階に留まりました。
加藤 でも、日大や芸大の日本舞踊の創作などみると、びっくりするような体の感覚を持っている若者もいるから、今後は日本舞踊が現代の先端の舞踊を作ることもあるかもしれない。
片岡 伝統の継承は、現在の身体を通って継承されていき、また伝統になっていくのですから、ある意味同じですよね。歌舞伎の伝統だって、同じ演目をやっても、役者の肉体はすべて違うから、役者によって表現が変わることも含めて、お客さんは楽しんでいる。クラシックバレエもシルヴィ・ギエムの身体でその美学が変わりましたからね。
加藤 その後研究部から枝分かれした研究企画部では、2013年から諏訪市で子供のためのダンスワークショップと2014年から作品責任者の許可を取りアーカイヴ公演のソロの鑑賞会も加えているんです。去年は研究企画部に時田ひとしさんがいたから〈ピチカット〉を上演、今回は馬場ひかりさんがいたので〈母〉と、木原浩太が〈スカラ座のまり使い〉を上演した。それを観ていた諏訪市の生涯学習課の課長さんが、「〈母〉を観て、涙が出た」…と、一方ワークショップで即興でウエイブをおどるダンサーに、「こういうダンスをみんなに見せたい!」と、言われました。一般の人の中に、新しいものを観る感性も、古い再生のものを観る感性も、両方持っている人がいるんですよね、観る人の目を信じて、やって行くしかないかなと思いました。
片岡 夏期舞踊大学2013で山田奈々子先生に高田せい子の〈母〉を指導して頂き、最後に受講生みんなで、女性だけではなく男性も〈母〉を踊った。パフォーマンスが終わると、ものすごい拍手が起きましたよね。それぞれの人に“母”が必ずある。その“母”に、この作品を通して触れることができたのだと思います。公演後の2015年11月には、指導をされた奈々子先生ご自身が、あうるスポットで〈母〉を踊られたんですよね。
正田 指導された方が踊る、と期待しながら見ました。
加藤 奈々子先生がワークショップの中でみんなに教えてくれたあの瞬間は、こだわりがあって、手の動き一つとっても、みんなにビンビンきましたものね。
片岡 高校生たちには、毎回、感想を書かせたのですが、ダンス・アーカイヴ公演を見て、「これから一生踊りを続ける自分のルーツに出会った」と中々のことを感じとっている生徒がいました。意識が変わったと思います。それから、第二回公演の石井みどり作品〈体〉を見て、「エネルギーを出すってこういうことか」ってわかった、と書いていましたね。ドラマを演じる〈スカラ座のまり使い〉や〈釣り人〉。そういう演技的な作品の面白さに対して、体のエネルギーをぶつけて踊るっていうのはこういうことか、体のエネルギーはここまでだせるのかと書いていました。かほる先生の〈マスク〉にも驚いていました。10代の子が、かほる先生の年齢まで自分も踊り続けたいって。年齢を越えて、あそこまで自分の〈マスク〉を踊っていたかほる先生を見ていて、そう思えたんですよ。若い人たちが過去の作品の再演を見ることは、自分の現在地を知り、唯一無二の自分の舞踊を掴むためにも大事ですね。
加藤 自分にはこれしかできない。どんなに周りが言っても、という〈マスク〉。研ぎ澄まされていましたね。
正田 そうですね、それがありましたね。舞踊家としての向かい方。どう自分が向き合うか。
加藤 大学生も高校生と変わらないかもしれないけど、こんなところに原点があったのか、と一つ一つ作品を挙げながら、シンプルな、音楽との関係に感動した等書いていました。自分たちの元を知っているつもりだったけど知らなかった、とか。すごく大きいんじゃないかな。夏期舞踊大学を受けた学生は、自分が踊った踊りが、こんな風に表現されるのか、って驚いたみたいです。
片岡 夏期舞踊大学を受けた生徒たちは、作品を教えて頂いたので、見ながら体が反応したと。からだが動いたんですね。教えてもらった〈恐怖の踊り〉が、装置があって照明が当たった舞台ではこうなるのか、と驚いたようです。
-この企画の意義と成果を、三人の企画運営者がたっぷり語って確認し、最後に今後の予定が語られた。
正田 《ダンス・アーカイヴin JAPAN》は、今のところ第三回目の予定はないけれど、《江口・宮アーカイヴ プロメテの火》公演が今年5月に開催されます。2020年の東京オリンピックで〈プロメテの火〉が上演されるといいなあ。でも、江口先生にしても、宮先生にしても、自分のソロを誰かに踊られたら、ものすごく激怒しているか、ものすごく喜んでいるか、どちらかだと思います(笑)。いずれにしても、現実化していくことは続けていかなきゃならないですね。
(2016年1月18日、現代舞踊協会オフィスにて)
正田千鶴 しょうだ・ちづ ダンス・アーカイヴ in JAPAN企画運営委員会代表
正田千鶴モダンダンスフラグメント主宰。江口隆哉・宮操子に師事。作品の数々は、舞踊批評家協会賞、芸術祭優秀賞、ニムラ舞踊賞等の評価を得る。日本初演後、ギリシャ・アテネフェスティバルで上演された〈空間の詩学〉は、新国立劇場主催ダンステアトロンで改訂再演される。現代舞踊協会研究部担当常務理事として2009年から「ダンスDNAとコンテンポラリーな身体-現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」とする講座シリーズを提唱、推進。《ダンス・アーカイヴin JAPAN》企画に繋がる。
片岡康子 かたおか・やすこ 同上 副代表
DANCEHOUSE主宰。幼少よりバレエを黒沢智子に師事、モダンダンスを江口隆哉、正田千鶴、三条万里子に師事。数多くの自主公演及び20世紀現代舞踊史の研究を経て、2009年から正田千鶴常務理事のもと現代舞踊協会研究部に関わり《ダンス・アーカイヴin JAPAN》企画を推進。文部科学省学習指導要領改訂協力委員及び(社)日本女子体育連盟理事長として、舞踊教育、特に創作ダンスの振興・普及に貢献。主要著書に『舞踊学講義』『20世紀舞踊の作家と作品世界』『日本の現代舞踊のパイニア』他。松山バレエ団顕彰「教育賞」受賞。お茶の水女子大学名誉教授。
加藤みや子 かとう・みやこ 同上 副代表
加藤みや子ダンススペース主宰。森嘉子、藤井公・利子に師事。東京創作舞踊団主要ダンサーとして活躍後、独立。仏・バニョレコンテ、伯・巡回公演(国際交流基金主催事業)、米・フェスティバル巡演等に招聘され高く評価される。1983年よりアネックス仙川ファクトリーを拠点に各地で五感を拓くワークショップやアーティスト交流の場、Hot Head Works〈ダンス=人間史〉を開催。これが現代舞踊協会研究部への参画と《ダンス・アーカイヴin JAPAN》の企画推進に繋がる。江口隆哉賞、ニムラ舞踊賞、舞踊批評家協会賞、他受賞。現代舞踊協会常務理事。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。
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